当館管轄区域

在スラバヤ総領事館 管轄区域
東ジャワ州、東カリマンタン州、北カリマンタン州、南カリマンタン州
在マカッサル領事事務所管轄区域
北スラウェシ州、ゴロンタロ州、中部スラウェシ州、東南スラウェシ州、南スラウェシ州、西スラウェシ州、マルク州、北マルク州、パプア州、西パプア州
管轄

東ジャワ州・スラバヤ市の概況(平成26年5月現在)

東ジャワ州の概況

概況

1.位置: 東経110度54分~115度57分、南緯  5度37分~8度48分
2.面積: 47,922平方キロメートル(「イ」全土の約2.5%)
3.人口: 3,808万人 (2013年)
4.人口密度: 781/平方キロメートル
5.宗教: イスラム教徒が約97%
6.気候: 高原、山岳地帯を除く平野部の一部はサバンナ気候。他の大部分は熱帯性気候。5月から9月は乾期で、特に6月から9月の期間、スラバヤでは朝晩が涼しく比較的凌ぎやすい。11月から3月まで雨期。
7.その他:
 地勢的には以下の3地域に分類。
(1)スラバヤ以西の中部ジャワ寄りの地域:ソロ河やブランタス河の流域にあって、肥沃な土壌に恵まれており、かつて多数の王朝の興亡をみたところである。特に11~15世紀には、クディリ、シンゴサリ、マジャパイト等のヒンドゥー王朝がこの地域で栄え、多くの遺跡を残している。「海のシルク・ロードの最東端」でもあるこれら遺跡群を80年代中頃に日本画家の平山郁夫画伯が訪問し、絵を描いている。
(2)スラバヤ南東にあってバリ島寄りの東端地域:サトウキビの栽培適地であり、農業の生産は高く、高原地帯にはコーヒー、カカオ等の農園が拓かれている。北部海岸ではエビ養殖が盛んであり、インド洋側では小船による漁業が盛ん。観光地ブロモ山はこの地域にある。
(3)マドゥーラ島:最高標高は499mであり、水源に乏しく米作適地は少ない。他方、塩田による製塩が盛ん。住民の殆どはマドゥーラ人。2009年には、ジャワ島とマドゥーラ島間に橋長5.438kmの島間架橋「スラマドゥ大橋」が建設された。

政治

(1)州(一級地方自治体)の下に、二級地方自治体に当たる29県(Kabupaten)及び9市(スラバヤ、マラン、パスルアン、プロボリンゴ、モジョケルト、ブリタール、クディリ、マディウン、バトゥ)がある。州都はスラバヤ市(2012年人口3,123,914人)
州知事:スカルウォ元州官房長(昨2013年8月に州知事選挙が実施され、スカルウォ知事が再選された。2014年2月に就任式、任期は2019年まで。)
スラバヤ市長:トリ・リスマハリニ元スラバヤ市都市計画局長(任期は2015年10月)
(2)州議会
議席数  :100 (2014年4月改選:2014月~19年議席)(括弧内は改選前議席)
党別内訳 :PKB(民族覚醒党)20(13)
PDIP(闘争民主党) 19 (17)
グリンドラ党13 ( 8)
PD(民主党)13 (22)
ゴルカル11 (11)
PAN(国民信託党)7 ( 7)
PKS(福祉正義党)6 ( 7)
PPP(開発連合党)5 ( 5)
ナスデム党4 ( -)
PHNR(ハヌラ党)2 ( -)
 

軍・警察関係

(1) 陸軍:第5陸軍管区司令部(通称ブラウィジャヤ師団)
(2) 海軍:東部方面艦隊司令部
(3) 空軍:なし
(4) 警察:東ジャワ州警察本部

経済概況

(1)東ジャワ州は、インドネシア第二の都市スラバヤ市及び全国第二の規模を誇るタンジュン・ペラク港を擁し、インドネシア東部地域における経済活動の中心的役割を担っている。
(2)東部ジャワ州はインドネシアの米倉とも言われており、農業面では灌漑設備が整備された穀倉地帯が各地に広がり、水稲をはじめとする穀物栽培が盛ん。また、サトウキビ栽培の適地。海岸の湿地帯ではエビ、魚の養殖が盛んであり、一部は塩田となっている。
(3)豊富な水、労賃は高騰傾向にあるものの豊富な労働力、港湾、市場等に恵まれ、スラバヤ市郊外のパスルアン市には、多数の日系メーカーの工場が操業するPIER工業団地、モジョクルト県にNGORO工業団地がある。
(4)また、我が国とインドネシアの協力プロジェクトのシンボルとなっている「ブランタス河総合開発プロジェクト」がある。この他大型プロジェクトとして、パイトン(プロボリンゴ県)の火力発電所建設計画が完工、稼働を開始した。これによりジャワ・バリにおける電力事情は大幅に改善されつつある。
(5)観光地としては、月世界を思わせる景観のブロモ山、トレテス及びセレクタの避暑地、サランガン湖畔等がある。この他、スラバヤ動物園(95年に秋篠宮殿下が訪問されている)、マドゥーラ島の競牛、トロウーラン遺跡、シンゴサリ遺跡、更にはブリタールのスカルノ初代大統領のお墓等がある。

領事団関係

・総領事館:日本、米国、中国
・名誉領事:仏、蘭、デンマーク兼スウェーデン、オランダ、スリランカ、比、ベルギー、独、タイ、チェコ、ハンガリー、スロバキア、ポーランド、モンゴル、オーストリア、モロッコ
 

在留邦人の活躍

(1)在留邦人
 2013年10月の調査結果:東ジャワ州708名、この内565名はスラバヤ在住
(2)日系企業の主な業種
 食品、金属、建設・設計、医薬品、繊維、木工・合板、電気機器・機械等製造業が中心。
(3)日本人会(東ジャワ・ジャパン・クラブ:EJJC)
 1973年4月に設立。2013年12月現在、法人会員51社、会員総数は540人の規模となっている。日本人学校維持、会員親睦、日・イ友好親善事業、日本語学習学生に対する奨学金支給等の活動。この他に月刊会報誌「ブランタス」の発行、日本語図書及びビデオ・テープの貸し出し等を行っている。
  • 東ジャワジャパンクラブ
    メール:ejjc@biglobenet.com
    電話:+62-(0)31-5615354
    担当:イダ、イエニー
(4)スラバヤ日本人学校(SJS)
  当地日本人学校の歴史は古く、大正14年(1925年)にインドネシア(当時は蘭領東インド)最初の日本人学校として開校。故有吉佐和子氏は戦前の在校生徒。1941年に閉校となった後、戦後の昭和54年に日本政府から全日制学校として認可される。翌昭和55年スラバヤ市内のダルモ地区に建設された新校舎での授業時代を経て、多くの方の尽力を得て平成7年(1995年)1月に現クティンタン校舎が完成した。2014年4月現在、小中学部児童生徒数62名、幼稚部22名。

我が国との姉妹関係

 1984年に東ジャワ州と大阪府、1997年にスラバヤ市と高知市が姉妹都市関係を、2012年にスラバヤ市と北九州市が環境姉妹都市関係を結んでいる。
(なお、スラバヤ市は、①シアトル、②広州市(中国)、③釜山市(韓国)、④高知市(日本)、⑤廈門市(中国)の5つの海港都市と姉妹都市関係にある)

スラバヤ市の概況(地理・人口・歴史)

地理

(1)地理
 スラバヤ市は東京から赤道を跨ぎ5,700㎞ほどの距離にある。南緯7度21分、東経112度45分に位置し殆どが海抜3~6mの平地で市の面積は290k㎡である。
 ジャワ島第2の大河ブランタス川(全長314㎞)の支流マス川(Kali Mas)が市の中心を蛇行しながら貫き、北部のタンジュン・ペラクに至っている。
 スラバヤ市の中心トゥンジュガン(Tunjungan)から主に南にかけてオフィス、ホテル、ショッピング街が拓け、商業流通の中心となっている。郊外のパスルアンやモジョクルトには日本の進出企業が工場を構える工業団地もあり、市の西方の湿地帯にはエビや魚の養殖場、塩田がつくられている。
 市の北部にはマドゥーラ島が防波堤の役をなす良港タンジュン・ペラ港があり、内外航路の大型貨物船、国内航路の客船が接岸する岸壁やコンテナヤードを備えている他、造船所や製粉所等の工場がある。同港の東部には、東部艦隊司令部が、西部には海軍士官学校が設置されている。市の郊外南約15㎞、市の中心から車で約40分のところに、空の玄関口であるジュアンダ(Juanda)国際空港がある。
 市の南方は山岳地帯で、晴天の日には市内からも美しい山並みを見ることができる。最も手前の富士に似た美しい山はプナングガン(Penanggungan)山と呼ばれ、この地にヒンドゥー・仏教が栄えた頃須弥山に例えられ、その中腹には夥しい数の遺跡が残されている。
(2)気候・風土
 スラバヤは熱帯雨林気候とサバンナ気候を併せ持った熱帯気候帯に属し、年平均気温は27℃と高く、日中の最高気温は30℃を越える。また、湿気が多く、年平均湿度は80%と高い状況である。季節としては5月から10月までの乾期と11月から4月までの雨期に分かれ、乾期から雨期に変わる10月、11月は1年の中で最も暑い時期といわれている。乾期の6月から8月にかけては冬のオーストラリアからの季節風が吹くので比較的涼しく、寝冷えや風邪に注意が必要である。
 7月から10月にかけての4ヶ月間には殆ど降雨は無く、糖度の高い砂糖黍を収穫するのに最適の気象条件といえる。
 11月から始まる雨期には主に午後か夜半の短時間に雨が集中して降り、市内の主要道路の一部はしばしば冠水に見舞われる。また低地の家屋では浸水による被害も多く発生している。

人口

(1)人口
 州都であるスラバヤ市の人口は3,123,914人である(2012年)。但し、都市化に伴い近郊から通勤する人が増え、昼間の人口は500万人にも及ぶと言われる。周辺地域も含めた都市圏人口は約900万人。
(2)住民
 港町スラバヤには内外各地の人々が住み着いているが、ジャワ及びマドゥーラ島出身者が圧倒的に多く、アンボン、マカッサル出身者がこれに続いている。
 アラブ系市民の多くは市の北部にある歴史的に名高いアンペル・モスクのあるカンポン・アラブ(アラブ集落)に住み、アラブの伝統を守っている。短期居住の外国人としては、日本人、韓国人及び中国人が多くなっている。
(3)宗教
スラバヤ市の宗教上の人口構成比率は、イスラム88%、プロテスタント6%、カトリック4%、ヒンドゥー・仏教その他が2%となっている。

歴史

(1)発祥
 スラバヤ市は1270年頃に築かれた由であるが、スラバヤ市議会では1975年に、1293年5月31日を市設立の日と決定し、以降毎年5月31日に記念行事を行っている。
 現在のインドネシア、インドシナ半島及びフィリピンにまたがる強大なマジャパヒト王国建設の始祖ウィジャヤが、ジャワを襲った蒙古軍をうち破り、外敵の支配を退けた事が、この日を市設立の日とした由来がある。スラバヤの名称は、ジャワ語の"Sura-ing baya"「困難に立ち向かう勇敢さ」といわれている。
 その後のオランダ植民地時代には砂糖黍栽培及び精糖を柱とするプランテーション産業が東ジャワ・プランタス河流域の肥沃な平野で始められ、経済の中心であるスラバヤは商業都市として栄え、今では東ジャワのみならず、カリマンタン、スラウェシ、バリ、ヌサ・トゥンガラの経済発展の要となっている。
 現在のスラバヤ市の紋章は、1955年6月15日に、オランダの統治下で決められた市の紋章を廃止し、次の図柄の紋章を採択したものである。
 ①青地の六角の盾(市の誇り)
 ②白色の英雄の塔(植民地支配に対し独立を勝ち取ったスラバヤ市民の闘士の象徴)
 ③戦う鮫と鰐の姿(困難に立ち向かう市民の勇敢な態度を象徴)
(2)日本との交流の歴史
 第二次世界大戦では蘭印と呼ばれていたインドネシアに日本軍が進駐し、軍政府を設立。日本軍政に先立つ何十年も前から、多くの日本人がスラバヤや各地の大きな町に住み、1925年にはスラバヤにインドネシアで初の日本人小学校が設置された。当時の日本人は、写真館、自転車屋、万年筆屋等の技術を要する店の他、雑貨商等を営み、当地の人々から信頼を得ていた由。これらの人の中で当地で亡くなった人の墓が各地に散在していたが、その後、墓石がまとめられ、スラバヤ市には日本人墓地が、マラン市には日本人慰霊碑が建設された。また、敗戦後は旧日本軍関係者で当地に残留し、独立戦争に協力し、インドネシア政府から表彰をされた者もいる。1995年、インドネシアの独立50周年を記念して、これらの方々に対し、駐インドネシア日本国大使から表彰状が贈られている。